臨時勉強会、戸梶歩さんに聞く、SLIMが切り開いたピンポイント月面着陸技術と今後の展開

3月29日 19時~20時半

アジェンダ

  1. 19:00- 19:10 クロスオーバーファンドの投資信託を考える小WG -- 活動報告 松本陽子氏
  2. 19:10- 20:00 SLIMが切り開いたピンポイント月面着陸技術と今後の展開 戸梶歩氏
  3. ディスカッション 宇宙と長期投資、投資家の役割について

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今回の講師は、宇宙開発エバンジェリストの戸梶氏だ。戸梶氏は米国Lockheed Martin社やJAXAで宇宙開発関連事業の経験を豊富につみ、再生可能エネルギーや宇宙ベンチャーの経験も持ちながら役者・文化人もされているという大変ユニークな経験を持つ。そんな戸梶さんの冷静な解説で、このSLIMの強みや課題をお聞きした。

戸梶氏は冒頭1枚の写真を示し、「SLIMの偉業の一つは、着陸直前に飛び出した小型ロボットによって撮影された、SLIM着陸の様子を映した写真の存在だ」と述べた。そこには小さなSLIMが倒立している様子を見ることができる。着陸したことはデータによってわかっても、写真があるかないかで人々の受け止め方は大きく変わる。だからこの1枚の写真のおかげで、多くの人がSLIMを知ることになったのだ、話し講演を始めた。

SLIMのサクセス

最近、H3ロケットの打ち上げや、ispace社の月面着陸の挑戦(残念ながら失敗に終わった)などがニュースとなり、メディアは簡単に“成功”とか“失敗”と報じている。しかし本当にプロジェクトが成功したのかどうかは、本来プロジェクトが設定した「サクセスクライテリア」に照らして評価をしなければならない。

プロジェクトにはあらかじめミニマムサクセス、フルサクセス、エキストラサクセスという目標が設定されている。SLIMの場合は、ミニマムサクセスは「小型軽量な探査機による月面着陸を実施する。」、それによって「高精度着陸に必須の光学照合航法を実際に検証し、開発した軽量探査機システムを軌道上動作確認する。」、「軽量探査機システムを開発し、軌道上動作確認を行う。」となっていた。したがって“月まで行き、月面着陸にトライできればまずはミニマムサクセス達成!”なのだそうだ。フルサクセスは「目標地点の100m以内に着陸すること」で、これは“たまたま”ではなく意図したように、つまり高精度着陸航法が正常に動作したことを着陸後送信されたデータによって確認できる必要がある。

 そしてエクストラ・サクセスについても設定されている。月に着陸しデータを送信したのち日没までの間に、将来のために月面で何か活動をすることだが、SLIMの場合は「月起源解明」を狙い、「マルチバンド分光カメラ」を用いて月マントル由来と考えられる岩石組成分析を行う、ということが期待されていた。ただしエクストラ・サクセスは達成できなくてもミッションは“成功”とみなされる。

 実は今回は、このサクセスに規定されていないプロジェクトがあった。これは搭載している小型ロボットを着陸直前の高度2メートルから分離し、SLIMの着陸後の様子を撮影しデータを送信するというものだった。小型ロボットはタカラトミーなどによって開発されたStar WarsのBB-8のようなロボットだ。うち一台は飛び跳ねる機能を持つ。SORA-Qという名のロボットは、本当はおもちゃだったそうだ。

https://www.takaratomy.co.jp/products/sora-q/kids/

予定しなかった越夜成功

 そんなSLIM昨年9月7日に地球を出発、燃料を節約するためにあえて大回りをして12月25日に月周回軌道に入った。着陸は直前まで予定通りだったが、上空でエンジン脱落により倒立した状態で着陸、太陽電池が横を向いてしまった。それでも通信機などの機器は正常に稼働したためバッテリーが切れるまでの数時間のうちにカメラによる撮影やデータの転送などの活動を行った。その後SLIMは一旦休止したものの、約1週間後太陽が太陽電池パネルに当たるようになり再び起動しマルチバンドカメラによる追加観測などを行った。その後、着陸地点であるシオリクレータ―付近は夜となり、二週間続く月面での越夜に挑戦することになった。月面の夜はマイナス170度ほどまで下がると言われており、そもそもそのような環境で生き延びることができるように設計していなかったSLIMは二度と目覚めない可能性も想定されていたが、2月25日再び太陽電池パネルに太陽が当たり始めるとまさかの再起動に成功した。その後三月末時点で二度目の越夜にも成功している。

 着陸時のエンジン脱落については、SLIMはこのような事態の対策も組み込まれており、自律的に判断して、姿勢を維持しながら降下を継続し想定と異なる姿勢ではあったもののなんとか着陸に成功した。そして着陸姿勢が想定外な状態にありながらも予定していたマルチバンド分光カメラ観測などを実施した。(写っていた石には犬の名前が付けられた)

 小型ロボットたちは予定より少し高いところでSLIMより放出されたようだが、問題なく撮影を行い、自ら“良い写真”を選んで地球に送信した。つまり打ち上げ以降地球からのコマンド操作なく自律的に月面で働いた世界初のロボットとなった。

 SLIMはもともと越夜することは予定されていなかった。そのために越夜できる能力を持ったヒーターとバッテリを搭載していなかった。これまで月面で夜を超えることを想定していた探査機のほぼすべてに原子力電池(RTG)などを積んでいた。RTGは日本では規制が厳しく利用するのは難しい。しかし今回のSLIMは予期せずRTGなしで越夜を成功させたことになる。

想定外の事態を乗り越え続けたSLIMができなかったのは、想定した姿勢での二段階着陸ができず、月面との接地時に衝撃を吸収する衝撃吸収材が試せなかったことぐらいだ、と戸梶氏は語った。

日本の製造業の力

次に戸梶氏は、今回活躍した日本企業の技術を紹介した。日本は月面に探査機を着陸成功させた世界で5番目の国に、越夜成功としては4番目の国にしたのは、まぎれもなく日本の製造業たちだ。

着陸レーダーは三菱電機製、航法カメラは明星電気(IHIグループ)、太陽電池はシャープ、今回ひとつ脱落しまったメインエンジンは三菱重工と京セラの共同開発でセラミック製、もう一つ姿勢を制御するスラスタはIHIエアロスペース、前転してくれないと検証できなかったという衝撃吸収材は株式会社コイワイ等、分光カメラも明星電気だ。そして今回大活躍のロボットはタカラトミーとソニーなどによる共同開発だった。

戸梶氏は、今回SLIMが最も評価されるべきことは「降りたいところに着陸する」ことを成功させたことだと強調した。この技術(画像を見て判断しながら自律的に着陸する技術)は今後JAXAの中で、火星衛星探査計画MMXという火星の衛星フォボスからサンプルリターンを行う計画で使われるそうだ。火星は遠く地球との通信は片道10分〜20分かかる。地球からリアルタイムのコントロールができないため、自分で判断しながら着陸してもらう必要があるためだ。

またそのほかにも、米国のアルテミス計画で色々日本が貢献する際に活用できるだろう。

月探査に向けて、JAXAだけではなく日本企業が直接チャレンジしているケースもある。ispaceはNASAから輸送を担う(Commercial Lunar Payload Services = CLIPS)ために選ばれた企業のひとつとなり、前回は惜しくも着陸に失敗したものの、2024年の冬には2回目の挑戦を行う予定とされている。苦労しているのは日本企業だけではなく、イスラエルや米国の企業も同じでみな四苦八苦している。また月面での取り組みに挑戦する日本企業も出てきている。高砂熱学工業は月面で水を水素と酸素に分解する水分解装置を、早ければ今年の冬に打ち上げる。もう月はビジネスの場になりつつあると戸梶氏はしめくくった。

ディスカッション

講演が終わり参加者からの質疑応答の時間となった参加者の1人はまず「エンジンが一つ壊れながらも、うまくいったというのは、どう理解したら良いか」と聞いた。戸梶氏は「本当はそれだけの実力地があったけれども、誤差の見積もりなどを悪い側で想定するなど、もしかしたら予想値をコンサバティブに出していたのではないかとみている」と述べた。また他の参加者が、「分光カメラはもう起動しないのか?」という質問がでたが、おそらく難しいだろうが、最初に撮影できたことで目的を果たしたと述べた。「他の国は続かないのか?」という質問が出たが、戸梶氏は考えながら「世界で5つの国しか(月面に)到達できていないことからもわかるように月にいくのはなかなか大変なので、いろいろな国が次々と月面に向かうというのは考えにくい。」と話した。

そして「今回、小さなサイズで越夜できたことを強みとして、今後の戦略をたてるというのはないのか」という質問が出た。これに対しては「今回越夜できたのが狙ったわけではない、という点に注意が必要。よく解析をする必要がある。同時期に月に着陸した後転倒した米国のNovaCは越夜できなかった。ただのまぐれで終わらせずに、ちゃんと分析し、例えば電気回路の設計などで大きな温度変化に強くするための秘訣のような情報を民間企業と共有し、“RTGなど使わずに越夜できます“とすれば日本の大変な強みになると思う」と述べた。

日本企業は伝統的に、決算でも低めに業績予想を出し“上方修正”とするコンサバティブなところがある。戸梶氏は「もしかしたらメーカーはうまくいけば夜を超えられるようにしようと意識して設計していたかもしれないが、JAXAの要求事項にないとその要求が満たされているかのテストもしていないはず。しかしピンポイント着陸の方は狙って挑戦し成功した。これも人類初だった。しかもそれを一体化の軽量タンクの採用などかなり軽量のシステムで実現したことも評価されるべき点だ。そして画像を見ながら自律的に判断する航法を宇宙で実現したことも、日本が初めてだった」と力説した。

日本企業のチャレンジはまさに始まったところだ。参加者の1人のベンチャー投資家は、次のispaceの打ち上げには既に高砂熱学工業の水電界システムや、日特の全個体電池など民間の貨物が搭載されることが決まっている。日本企業は月に対しリスクをとっていくような度量がでてきたのは特別なのだろうか?と問うた。とある企業の宇宙開発室に所属している参加者は「最近ロケットが爆発し部内は意気消沈しているが、来週からの新年度またがんばっていきたい」と述べた。日本企業の技術力だけでなくチャレンジ精神にこれからもますます期待したい。